人生オセロ

アラサーの日記です。毎週月曜日更新。

妊娠初期症状のキロク

4月の半ばごろ、妊娠が発覚した。

せっかくなので、今までの体調を記録しようと思う。


【妊娠4〜5w(生理予定日から1w頃】

ひたすら眠く、胸が張る、などの体調の変化。これはいつも生理前に感じていることなので、特別な感じはなかった。

いつもと違ったことは、生理前の鈍い腹痛がなく、チクチクとした痛みがあったこと。

妊娠検査薬は通常、生理予定日〜1週間過ぎてから使用することになっているが、早まったわたしは4w4dで使用し、結果陽性。


【妊娠6〜8w】

ひたすら眠く、1日12〜15時間も寝ている...。

朝イチは吐きづわりがあり、すこし苦しい。毎日吐くといったことはないが、胸焼けのようなムカムカが続く。

⭐︎食べられたもの

そうめん、うどん、サラダ巻、たまご豆腐、サクレレモン、その他冷たいもの

8wはとても体調が悪く、夫の夕食をつくるのがかなりキツい。


今日で8w6dなので、もう少しでつわりが終わってくれるといいな、と思いながら書いている。

3月末で仕事を退職して良かった。お金は減っていくばかりだけれど、好きなだけ寝ることができるので...。



今の悩みはいつ妊娠報告をするか。両親、義両親は安定期に入ってから、友達は産まれてからにしようと思う。



15年来の友人からFOした話【後編】

※夫の職業など、身バレ防止のため事実と異なる部分があります。

それは、わたしが入籍した1年後くらいだった。夫の地元の県にわたしは住んでおり、A子がこちらへ遊びに行きたいと言いだしたのだ。

コロナは落ち着いている時期であったこと、また移動はすべてわたしの運転する車でという条件で、わたしは”喜んで”と返事をしてしまったのだ。

最悪な旅行になった。


2泊3日の旅程で、1泊は一緒にホテルに泊まりたいと言われたのでわたしが予約した。
LINEでどこにするか相談の上、値段も了承していたはずだった。

1泊3.5万円ほどのホテル代はすべてわたしの負担だった。ホテルの予約時にわたしが支払っていたのだ。
チェックアウト時に夕食の飲み物代だけ請求された。
その際、A子に「これくらいは払わせて!」と言い出され、情けないことに驚いてそれ以上言葉が出なかった。わたしが全額払うなんていつ言ったのやら...。
さらにあろうことか「夕食も美味しくなかったし泊まるところじゃないね。」とも言われ、気分は最悪だった。

観光地への移動のトータル400km以上の運転もすべてわたしが行い、もちろんガソリン代などはなかった。わたしが逆の立場ならガソリン代くらいは渡していたけれど、価値観の相違なのだろう。

旅行の最中にわたしは来月挙式を身内のみで行うことを報告した。A子は何かしら言わないと気が済まないらしく「入籍から1年経って挙式するなんてことあるんだ。」と言われた。余計なお世話だ。

A子は、恋人から誕生日を忘れられ気持ちが冷めたこと、友人に紹介された医師Bさんと会っていることなどをわたしに話した。
恋人とは別れていないようだったので、「先に今の恋人と別れた方がいいのでは。」とわたしが言ってしまった。

それが気に障ったらしく、A子から「あなたには、わからない。わたしには情があるから。」と言われた。
情があるならば、LINEを1日以上未読スルーして相手に別れたいことを察してほしいなどと言わないだろうし、相手の時間を奪っているのだからはやく別れた方が良いのでは?と思ったがもう何も言わなかった。


また、A子からは「恋愛経験がそんなにないからそういう考え方なのだ。」とも言われた。もう否定するのも面倒なので何も言わず、A子の恋愛について思い出していた。

学生時代の彼氏はスペイン語がクラスで1番できたこと、今の彼氏は元ジャニーズでスタイルも顔もいいこと、また紹介された医師Bさんは医師というだけで尊敬できることを言っていた。
記号的にしか人を判断できないのだろう、と思ったがもちろんなにも言わなかった。


A子は続けて、「医師Bさんとは結婚しても忙しいから家事もしてくれなさそうだから嫌。医師には浮気もされそう。」と言ってきた。
わたしが医師と結婚していることを知っていて。
特に医師Bさんと結婚の話になるどころか付き合ってすらいないにも関わらず。

さらにはわたしの夫の顔面についても言及された。平均より上、などと上から目線で。

夫の顔面について言及されたとき、ぷつりと「あ、もう無理だ。2度と会わない。」と思った。
うっすら『見下されているのかもしれない、しかしA子にとって都合の良いふるまいを続けているわたしも悪い。』と感じていたが確信に変わった。


なんとか顔に出さないよう気をつけながら旅行は無事に終わり、その後も当たり前に挙式の時期になってもお祝いの言葉などなかった。


事前に挙式の報告をしていた他の友人たちにはお祝いの品を送ってもらったり、お祝いの言葉をもらったりしていたので、そういう子たちだけ大切にしていこうと思った。

A子からは、旅行の初日にお土産として1,000円程度のお菓子を貰ったが、医師Bさんには5,000円ほどのご当地の器を買っていた。
「重いのでは...。形に残らないお菓子などがいいのでは...。」と思ったが口に出すのはやめておいた。
その器がどうなったかだけ少し気になるところだが、もう連絡も取りたくないので、謎のまま残しておこうと思う。

今後は何か連絡が来ても当たり障りなくひっそりフェードアウトしようと思う。


15年来の友人からFOした話【前編】

A子との出会いは中学の部活だった。

わたしが中学1年生の途中で転校してきて、そのとき出会ったのだ。

部活では、転校したてでうまく馴染めずにいた。意地悪なことを言われたり、輪に入れてもらえなかった。(嫌なことをしてきたのはほとんど後にキャプテンになる子だったけれど。)

ある日、部活後に自販機の近くでみんなで飲み物を買いに行くとのことで、一緒に着いて行くとA子にはあからさまに嫌な顔をされて傷ついたのを覚えている。
「あぁ、この子もわたしのことをまだよく知らないのに嫌いなんだな。権力がある子の判断に従うんだ。」と思った。

そう、第一印象は良くなかったのだ。



それから半年くらい経ち、部活にも慣れて特に意地悪されることもなくなった。何がきっかけだったか覚えていないが、A子ともかなり仲良くなっていた。


A子とは高校も同じで、クラスは違ってもよく一緒に帰ったりしていた。
そして高校卒業後は違う大学に進学したので、地元で帰省したときに会ったりしていた。


A子は名門大学へ進学し、わたしは地方の大学へ進学した。A子が受かった際は、休み時間もずっと勉強していたし毎日努力して継続できるなんて素晴らしい、尊敬する、と素直に思っていたし、おめでとうと一緒に喜んだ。


最初の違和感は、大学生の夏休み、A子がわたしの大学のある県まで遊びにきたときだったように思う。

わたしは地方の大学に進学したので、観光名所まで行く交通の便が悪いことに不機嫌になっていたようだった。
正確には何が原因で機嫌が悪くなったのかわからないけれど、お土産屋さんでも、気さくな店員さんに対して不機嫌丸出しの対応をしていたのを覚えている。

ランチでは就職のお祝いプレートを用意したり、帰り際に渡すお土産をこっそり準備したりと最後まで楽しくしたい、喜んでもらいたいと思っていた。
しかし帰り際まで不機嫌なままの態度に、わたしはどっと疲れ、「あれ?こんな子だったっけ?」と違和感を覚えた。


それでも尊敬するところがあったし、読む本の趣味も合う。
話していて違和感を感じることがあっても、環境も変わったので当然だろう、わたしが成長できていないのかもしれないなどと考えていた。

しかしその後も違和感は続いていく。

たとえば、今度はわたしがA子の大学のある県へ遊びに行ったとき、行ってみたい雑貨屋さんがあり、一緒に着いてきてもらった。
しかし何も買わなかったというだけで、「来た意味あるの。なぜ行きたかったの。」などと不機嫌になり、その後ずっと引きずること。

恋人ができた話をすれば、A子と会うたびに「2人で撮った写真を見せて。」と言われ、わたしが断れば
「どこも旅行に行かないの?仲が悪いのでは?」等言ってくること。


このような小さな違和感は感じていたけれど、それでも年に1回くらいしか会わなかったので、まあいいか、と思っていた。


しかし、もう離れようと決意する決定的なことが起こった。


後編へ続く。